徳川徳松(とくまつ)在城年数3年(1680〜1683 )

5第将軍・徳川綱吉の長男。母は小谷正元の娘・伝(瑞春院)。徳川将軍家の世嗣で上野館林藩主。
(詳しくはwikipedia-徳川徳松を参照)

 生誕 延宝7年(1679年)
 死没 天和3年(1683年)
 改名 徳松(幼名)
 別名 官位なし
 藩  上野国館林藩主

延宝8年(1680)、2歳で館林藩主となる。惜しくも、5歳で夭折。綱吉は徳松の死を悲しみ、なんということか館林藩を廃藩にして天領に、館林城は廃城にしてしまう。何とも、こまった人だ。

24年後の1707年.廃城になった館林城を再建したのは、6代将軍・家宣の弟で徳川清武。2万4000石から始まり5万4000石になった。

「七五三」の祝いは、天和元年(1681年)徳松の健康を願ったのが始まりとされる。
※「七五三」男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事)。本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合が多い。