ギャラリー/館林城・城下
八幡宮は八幡神(誉田別命・ほんだわけのみこと、とも呼ばれ、15代天皇・応神天皇と同一とされる)を祭神として祀る神社。武家にとって武運(弓矢、戦勝)の神であり、守護神にふさわしい。
武家の棟梁・源氏の守護神となった機縁とされるのは、源義家が、石清水八幡宮で元服し八幡太郎義家となってからといわれている。館林城では15世紀の赤井氏による築城のときから守護神として尾曳稲荷神社がある。八幡宮は榊原氏が築城したときに城の守護神として建立されたものだろう。
本丸の東隣に八幡郭としてかなり広いスペースが与えられていた。(絵図参照)
明治になり社はそのまま残っていたが、明治40年(1907年)に尾曳稲荷神社に合祀され、その後八幡郭には上毛モスリンの重役の別荘が建てられたため、本丸へ移動。
別荘は大正時代に秋元家の所有となり、以後「秋元別荘または秋元別邸」と呼ばれるようになった。
現在もひっそりと鎮座する八幡宮は、館林の人達もめったに訪れない。
【八幡廓(曲輪)】城沼に抜ける水門(2間×4間)が東側にある。
蔵のあったあたりは秋元別荘(秋元別邸)と呼ばれた建物がある場所。
絵図面:館林御城図・部分(徳川綱吉時代) 国立国会図書館蔵より
赤い鳥居の奥に拝殿、その奥に本殿があり、周囲は土塁と木立に囲まれていたのがわかる。現在の社と違って、南向き。八幡神社(天孫系)は南向きが普通なので、西向きに変えたのは、尾曳稲荷神社(弁財天)が西向きの神社なので向きを揃えたのかもしれません。
石造りの鳥居は、3.11東日本震災で被災。 一部破損。 本殿は盛り土された古墳のような場所に建つ。(2011.9撮影)
本殿は雨をしのぐための屋根が架けられ保護されている。本殿前の狛犬の造りは見事。
ひっそりとたたずむ八幡宮。尾曳神社に合祀されたので、地元の人もほとんどしらない。おすすめのスポットです。
八幡さまの神紋である左三巴の紋が屋根にあしらわれている。榊原康政が建立したとすれば400年の歴史がある。
八幡曲輪の場所に建つ、館林最後の藩主秋元家の別荘。
こどものころ、ここは大切な遊び場だった。
八幡曲輪と城沼の境界は綱吉の絵図面では石垣だった。その後土塁の上に瓦をのせた土塀によって囲まれた。
茶色の部分から東側は低くなっていて湿地だったのだ。