ギャラリー/館林城・城下
館林道は別名「日光脇往還」と呼ばれた。中山道から鴻巣付近で分岐して館林へ向かい佐野で日光例幣使街道と合流する街道。
1590年館林城主となった榊原康政が街道を整備。康政は利根川、渡良瀬川の堤防整備を行った。この治水事業により館林周辺の水位が下がり地面が露出してきた。そのおかげで城下を南北に貫く道路・館林道(日光脇往還)が完成。(1597年)
下の図は幕府の道中奉行(道路公団と国土地理院のようなものだろう)によって作図された絵図(全国の街道を制作している)。利根川を越えて川俣村に入り館林城を抜けて下早川田から渡良瀬川へ。街道沿いの村々の佇まいや神社仏閣、沼や川などを鳥瞰図で描いている。どうして鳥の視点から描くことができるのだろうか?江戸時代の人間の才能に驚く。本当にスゴイね。絵図面は東京国立博物館で所蔵してあり、デジタルアーカイブによりだれでも利用できます。
(2013/08/06アップ)
▲絵図は東博(トーハク)より2013年5月使用確認済み。原図にわかりやすく地名を加筆しました。制作:田中茂雄
【昭和29年の館林道(日光脇往還)】
昭和29年の館林市、町には子どもが溢れていた。この下町の路地にも、子どもがわいていたのだ。戦後のベビーブームの世代たち。私たちの世代だ。下町地区は南小エリアなので多くの同級生が住んでいた。家が密集している。現在、日光脇往還はようやく道が広がり歩道も出来たが(平成24年完成)、時すでに遅し。街道沿いの店舗は激減。ほとんど人は歩いてない。なんとも皮肉なことだ。M山電気やS永時計店など同級生のお店があった。同級生のN良郵便局はまだ健在。(2013/08/07アップしました)