【愛宕(あたご)神社】

城下町館林のパワースポット筆頭!。江戸時代、館林市中総鎮守だった。
木挽町(西本町)に鎮座。人工的な小さな山が築かれている。現在はひっそりとした神社だが、パワーを感じさせるエリアだ。
愛宕神社の社伝によれば、文武天皇の4年(700年)、修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が京都(山城国)愛宕社の祭神「火産霊命(ほむすびのみこと)」を勧請した(霊を迎入れた)。古い!伝承だから素直に受け入れよう。
役小角は伝説的な人物だ。(634年〜701年)飛鳥時代に活躍した呪術界のスーパースターだ。
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鎌倉時代になると、5代執権 北条時頼(ときより/1227〜1263)は当社への信仰が厚く社殿を造営するとともに別当寺「興蔵寺(こうぞうじ)」を境内に創建し、愛宕神社の管理に当たらせたという。
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室町から戦国時代にかけ館林の領主であった赤井・長尾・北条氏らが深く崇敬。(愛宕権現のパワーは武門の神様だから・・・)
天正18年、館林に家康の命令で入部した榊原康政も当社を信仰。文禄年間(1592〜1596)館林市中総鎮守と定め、敷地約5千坪を安堵し、さらに慶長7年(1602)、社殿を修復、榊原氏の祈願所とした。
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寛文9年(1669)館林藩主となった徳川綱吉は、社殿をことごとく改築し、建物に葵の御紋の使用を許可した。
(現在の社殿の屋根にも、燦然と輝く葵の紋がみえる)
延宝8年、綱吉は5代将軍となったが、当社への信心さらに厚く、元禄10年(1697)には社殿を修築。以後その修理を幕末まで幕府または館林藩が行った。これはスゴイ。
愛宕神社古地図
▲城下町西に位置する。大田口御門近く。現在も同じ場所に鎮座しているので、古地図を見る際のランドマークになる。

【古写真でみる愛宕神社のすごさ】

明治に入り愛宕神社は徳川家の後援を失い、修験道としての興蔵寺も廃寺となってしまった。
それでも古写真をみれば往年の繁栄が偲ばれる。
杉の大木が並んでいる。迫力ある写真だ。樹齢数百年か・・。綱吉時代に植樹されたとしたら200年を越えている。
境内の杉にまつわる不思議なエピソードも伝わっている。乞うご期待。 大正時代の愛宕神社※写真は川島維知編「写真集・館林」(昭和53年発行 国書刊行会)より転用。 感謝
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100年後の2018年、愛宕神社の現況はこうだ。
現代の愛宕神社現在(2017年11月撮影)の境内。大木の面影もない。社殿は改築されて新しい。
愛宕神社奥山▲館林で生まれ育った私だが愛宕神社奥山は知らなかった。北小学校、一中エリアに足を踏み入れる機会が全くなかった。

【青石地蔵板碑】

愛宕神社の北隣に安置された県指定重要文化財「青石地蔵板碑」。
なぜ愛宕神社境内、または興蔵寺敷地内にあるのかがよくわからない。市教育委員会が制作した案内板を読んでも不明だ。榊原康政が築城する以前からこの地に建っていたのだろう? 鎌倉時代に制作された板碑なのでそうかもしれない。
青石の産地はお隣埼玉県、美しい色だ。青石板碑

(2018年2月11日アップ)

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