円教寺


[解説]
寺伝によると、天正4年(1576)本山・身延山久遠寺の日胤(にちいん)上人が布教に訪れた際、多くの信者によって外加法師に創建。文禄3年(1594年)榊原康政の築城により現在地へ。
宝永4年(1707)六代将軍家宣の弟・松平清武が入部すると、円教寺を城主・越智松平家の位牌寺とした。寺運は隆盛した。 弘化3年(1846)火災により全焼。その後再建。境内には、種痘で多くの命を救った藩医・長澤理玄や明治になり民権運動で活躍した木呂子退蔵、国学者・石川直幹の墓がある。
平成27年(2015)、寺入口にお墓ガイドが建てられた。

(2018年1月3日アップ)

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