法高寺

【法高寺】

館林では「おめこ寺」として有名だった。縁日には露店がたくさん出店。懐かしい想い出。縁起書によると鎌倉時代・弘安4年(1281)日蓮上人が通りかかった佐貫町(青柳付近)の人々が教えを請い仮堂を作る。日蓮は五十余日滞在し教えを広めたた。これが法高寺のはじまりという。その後、僧日弌(にちいち)が中興開山。
文禄3年(1594)年、榊原康政の築城により、城下町北端の台宿原と呼ばれた現在地に移る。毎年陰暦10月12日夜の法会を「御命講(おめいこう)」これが「おめこ」の語源。2016年山門が新しくなった。
        
[山門、新旧紹介]
法高寺の山門が新しくなった。しかもモダンな建築だ。基本構造はRC。鉄筋コンクリート造となった。
法高寺山門(新築)
      ◎
法高寺旧山門を撮影してあったのでご紹介。(撮影:2014年4月3日)) 法高寺旧山門▲旧山門。子どもの頃から親しんでいた山門。写真ではきれいに見えるが結構痛んでいた。倒壊を防ぐため門の内側に支えの柱があった。 それにしても築何年だったのだろうか?

(2018年1月5日アップ)

[瘡森稲荷(かさもり)]
山門を入りすぐ右手に社がある。江戸谷中の「笠森稲荷」を勧請したと伝えられる「瘡守稲荷神社」である。おおもとのルーツは大阪・高槻市(摂津国島上郡真上村)に祀られている「笠森稲荷」だ。 皮膚病、疱瘡(天然痘)に御利益があるという。有名な神社だね。
法高寺の稲荷社は明治維新の神仏混交禁令により普賢堂(ふげんどう)と改称したが、その後再び稲荷社となった。

長澤理玄の家からも近いので、理玄もきっと天然痘撲滅を願い参拝したことだろう。
(法高寺隣の円教寺に長沢理玄のお墓がある)瘡守稲荷社

[御命講(おめいこう)]
陰暦10月13日(日蓮の命日)の前夜10月12日はお逮夜(おたいや)と呼ばれ、「御命講」という。
これは、弘法大師の「御影供(みえいく)」と間違えられるのをさけるためと、日蓮宗では祖師日蓮上人を崇拝しとくに「大御影供(おおみえいく)」と称した。これが変化して 御命講(おめいこう) になったといわれる。
それが、地元ではさらに変化して「おめいこう」→「おめこ」。法高寺も地元では「おめこ寺」と称していた。
 積年のナゾが解けた!? 
私は「おめこ」が漢字の御命講(おめいこう)と知ったのは数ヶ月前のことである。
これで、西日本の友人に卑猥な寺名だと誤解を受けたが、ようやく釈明できた。 いいネ!
(2018年1月7日アップ)

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