法泉寺

【法泉寺】(ほうせんじ)

太田口門に隣接して建つ法泉寺。八代将軍足利義政の隠居後、文明16年(1484)義政によって創建されたという。戦国時代になると争乱のため寺は荒廃。慶長年間、館林城主・榊原康政の助力によって再興されたので康政を中興開基とした。寺は繁栄。境内には観音堂・聖天堂・妙見宮・三峯宮などが立ち並んでいた。文化8年(1811)焼失。
境内墓地には榊原康政の兄・清政の子孫の墓がある。清政は家康の長男信康の重臣であったが主君信康が家康の命で切腹。清政は牢人となり弟・康政の館林城内ですごした。寺紋は足利氏の二つ引両紋。

[寺に伝わるお話し]〜金亀伝説〜

『昔、この寺の数ある宝物の中で、特に大切にされていたものに「黄金造りの亀」があった。
この亀は、近郷近在などにめでたいことがあると、必ず前兆があるといわれ非常に珍重され、山号の「瑞亀山(ずいきさん)」も、これによってつけられたといわれるほどであった。
ある年のこと、この地方がまれにみる大水害に見舞われたとき、どうしたわけか金亀は、人々が洪水に気をとられているすきに、寺を脱けだしてしまった。これに気づいた関係者が、水の引けるのを待って近郷近在の村々を、くまなくさがしたがついにその消息を知ることができなかった。
ところが寛文十一年(1671)のある日のこと、近在のある村の沼辺に、この金亀とそっくりの亀があらわれ、その体から光明を放っていた。これを見た漁師が多くの仲間を呼び集め引き上げ、村の菩提寺に安置した。しかし、そのときはまばゆいばかりの金亀の面影はすでになく、ただの石亀になっていた。』

参考文献:館林の社寺(館林市立図書館編)館林双書第15巻42ページより

本堂の前庭に石造りの白い大きな亀が置かれている。
上記のエピソードを知ってあじめて石亀が置かれている意味がわかった。
そうなんだ・・・ナルホド。

【本堂】石造りの本堂が建っていた

旧本堂は昭和35年(1960)に竣工。特徴ある建築であった。
平成21年(2009)、現在の本堂に建て替えられた。 法泉寺コラム

(2018年1月6日アップ)

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