覚応寺

【覚応寺】(かくおうじ)

開基は佐々木盛綱(頼朝伊豆配流から仕えた名門。近江国、宇多源氏佐々木氏の武将。後に出家し西念と称した)の子孫林通(りんつう)と伝えられる。場所は大袋。綱吉時代の城代家老・金田正勝(1623〜1698)は、林通の孫林易(りんえき)に帰依し、城主綱吉に願って30石の黒印状をたまわり、さらに大袋より現在の地に寺を移した。正勝の父・城代家老金田正辰(まさとき)は館林で亡くなる。正辰夫妻の位牌は今も納められている。墓地には尾曳城絵馬で有名な浮世絵師・北尾重光の墓や勤王攘夷の志士・大久保鼎の碑もある。
寺紋は佐々木氏の四つ目結紋。
覚応寺絵図▲秋元時代の絵図より覚応寺。材木町の西端、堀と土塁の内側に覚応寺がある。北に隣接して応声寺。材木町通りの南北に数多くの寺院があったことがわかる。

(2018年1月3日アップ)

【境内】太子堂、北尾重光の墓

覚応寺・太子堂(2018年1月9日アップ)

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