最新情報/館林城調査・研究・提案
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- 2015年1月 ニュース
- 2014年11〜12月ニュース
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- 館林女子高ボクシング部記事
- 歴史好きにオススメの経済本
- お城再建事例01[山形城]いくらかかるの?
- 「長澤理玄展」2014年5月
- 「さよなら名建築」またひとつ景観が
- 「甦れ!江戸城天守閣」(著者:松沢成文)
- 「剣術修行の旅日記」(館林藩校道場の記述)
- 旧・二業見番(勝手に重文企画)
- 館林城を講演でアピール
- 明和町S氏邸にある綱吉時代の石垣石
- 2013年東京都シニア空手大会準優勝
- 長澤理玄プロジェクト
- 読売新聞掲載2013年11月1日
- 「よみがえる館林城展in足利」
- 種痘の碑(山形市)
- 日光脇往還・杉並木
- よみがえる館林城展オープニングパーティー
- よみがえる館林城展プラス情報
- 上毛新聞掲載2013年5月2日
- 上毛新聞・シャトル連載2013年4月
- よみがえる館林城展2013
- 石垣石探検隊
- 上毛新聞掲載2012年10月
- 「東北遊日記」吉田松陰
- 「お国替絵巻」山田音羽子
- 館林城絵馬(尾曳稲荷社蔵)
- 館林城・絵はがき
- 城下町散歩
- 堀・(土塁)調査
- 建築家による館林城研究
- 三重櫓・研究
- 榊原康政・調査
- 館林城調査
堀・(土塁)調査
館林城は堀と城沼よって囲まれていた。城下町も全て土塁と堀をめぐらせていた。その規模は東西950メートル(大手門から太田口まで)、 南北1200メートル(江戸口から佐野口まで)で街道につながる出入り口には五カ所の門が置かれた。(江戸口、佐野口、小泉口、太田口、加法師口)
堀全図;昭和22年に米軍が撮影した写真に館林城の堀を(青色)重ねてみた。現在の写真では開発が進みすぎていて堀の存在がわからない。昭和22年はまだまだ江戸の町並みが残っていたのだ。たとえば、外郭(そとくるわ)の北側の堀の跡は鮮明にわかる。現在では全て埋め立てられ宅地になってしまった。佐野に延びる5号道路がないので、夜明稲荷周辺の土塁や堀もくっきりと写っている。東小(第三小)もないので、東小のあたりは土塁と堀が交差する場所であったこともわかる。また、南小(第二小)の周辺はほとんど田んぼであり湿地帯だった。小泉口そば日清製粉の南側も広大な田んぼが広がる湿地帯だった。
城内部分のアップ写真;
堀と土塁がくっきりと写っている。三の丸などは土塁の植栽と堀がほぼ完全な形で存在していた。館林女子高校も外郭を利用して建てられたことがよくわかる。城の北部、裏宿と加法師をわける土塁と堀も明確。侍町であった伴木の北部に位置する土塁と堀のラインも明確だ。
団塊世代で南小や東小に通っていた世代ならこの写真から目が離せないはず。そのくらい楽しい写真だ。(写真は昭和22年米軍の調査資料用写真)
一中北側にのこる堀と土塁。かつての形状が良く残されている。(上2点、2012年5月撮影)
佐野口の東側に残る堀と土塁堀は水はきれい。気持ちの良い散歩道。
城下町南西にのこる堀と土塁。日清製粉記念館の前にあり保存されている。記念館は土塁の上にある。(2012/08/01撮影)
日清記念館と連続する土塁、現在工事中で土塁が削られている。工事をしている人は420年前にご先祖様が築いた土塁とは知らないのだろう。
文禄2年(1593年)から文禄4年にかけて普請した記録が残る由緒正しい土塁だ。今なら見られるので是非どうぞ(2012/08/01撮影)石垣の下の道は堀だった。場所は駅前通りの南側(昔の塩沢銃砲店の南側)土橋門の東側。ここは立派な堀だったところ。こどもの頃は田んぼになっていた。現在は埋められて駐車場になっている。この側溝がかつての堀の一部だなんて気がつかない。大手門から南に続く堀割の跡なのだ。この堀は正田別荘の北側を通り第二小学校の東側につながっていた。(2012/04/撮影)場所はラーメンの森田屋支店の南側。