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「お国替絵巻」山田音羽子 この内容でTVドラマや映画が作れますよ。
題は『お国替え』、いい話です。
2012年10月14日up
「お国替絵巻」山田音羽子 写真は化粧箱に入った復刻版。初版は昭和5年2月1日発行。著者は山田音羽の孫の佃輿次郎。復刻版は山田秀穂氏により平成2年9月に発行された。
「館林城の再建をめざす会」の会員から資料として寄贈されたもの。(2012年6月)
館林市史に紹介された「お国替絵巻」を全編読みたかったのでとてもうれしい、感謝です。
●山形から館林へのルートを読み解き、図解しました。参考にどうぞ。【お国替絵巻/本編】
弘化2年(1845年)霜月二十九日〜で始まる「お国替絵巻」。山形藩主・秋元志朝が館林へお国替になった。秋元家はもともと関東を基盤にした武家で惣社(前橋)→甲州→川越と出世してきた。特に豊かな川越藩(秋元家は川越在城63年)から北国・山形へ転封(田沼時代に転封させられた)では左遷気分になっていた。79年後ようやく江戸に近い館林に国替えになり、秋元藩家中はめでたい気分に満ちていた。一方、遠州・浜松から山形へ転封させられた水野家は意気消沈。温暖な浜松から寒冷な山形では気分も落ち込む。(館林藩主の井上正春は浜松へ、井上家は28年ぶりに浜松へもどる。)。こうした状況が「お国替絵巻」の中に描写されている。それにしても、絵師について絵の修行をしたわけでない山田音羽の絵はすばらしい。観察力。様式美ある表現力。「お国替絵巻」を記したときは御年52歳。この筆使いは見事だ。
このページは、音羽の人柄というか、なんともほほえましい。お気に入りのエピソードだ。
館林城は別名尾曳(尾引)城ともいわれている狐の伝説が、遠方の山形にまで伝わっていたとは。それにしても、犬と猿が仲が悪いのはわかるけど、犬と狐が仲がわるいとはねえ。なので、山田家では愛犬を置いていくことになり、その行く末を心配する。その心配りは、現代のペットを愛する人と同じなので、ほっとする。こうした心情が時空を越えて現代の我々に伝わり、共感できるのはすばらしいことだ。
犬のイラストがいいね。絵に動きが表現されている。ちょうど未来派の絵のように足をばたつかせて見えるのはわたしだけだろうか。ついでに、当時の武家の台所の状況がよくわかる。鍋と複数の桶、ひしゃく、かまどには釜が収まっている。かまどの脇に小川のような水が流れている。ここで洗い物をするのだろうか、便利だね。
「お国替絵巻」は道中の記録がメインなので、ゴールである館林城の記述はとてもすくない。上記の黄色帯の箇所だけ。それと絵が2枚。
山田家一行が板倉から松原を経て江戸口に到達。谷越の町並みを記している。「皆二階作りにてよき町なり」と。
大手門。石垣で囲われている。この絵が描かれた6年後の嘉永5年4月4日、同じ場所に吉田松陰と宮部 鼎蔵が現われるとは、歴史の面白さだ。
「大名小路」現在の2倍の巾があった大名小路。音羽は「まことに立派にて目をおどろかすばかりなり」と記している。
「お国替絵巻」最後のページ。道中の山田家一行の名前と年齢が記されている。
締めの言葉がすごい。「行く先の地獄、極楽、我知らず。まずこの道を極楽と知れ!」
これって人生の応援メッセージ、深い。背中を押されます。
この「お国替絵巻」を題材にして有能な脚本家、シナリオライターの方、ドラマをつくってください。実録ものだし、内容も楽しい。家族や多くの人との心温まる交流。愛犬とのわかれ、途中の観光名所の紹介、峠や、いくつもの川を越えるなど見所満載。お国替替えの背景に天保の改革の政治ドラマ(水野の失脚。水野家の落胆や浜松にもどる井上家の喜びと秋元家の期待感)があり歴史の勉強にもなる。山田音羽さんの残した記録は文章だけでなく、すばらしい挿絵もあるので映像化しやすい。
東北の風景と、人との絆、これってなんだか今(3.11以降の)のテーマでしょ。舞台となる街道も山形、宮城、福島、栃木、茨城と震災の影響を受けた地域。各自治体の協力も得られそうだし・・・。
「 おくりびと」のような映画になりそう。教えたいな小山薫堂に。(2012年10月23日、文字校正)
【お国替の概要】
弘化3年(1846年)5月2日から、家臣達は順次山形を出発した。山田家は23日に出発し、11日かけて6月4日館林に到着。ルートは山形→奥羽街道で福島→ 二本松→本宮→須賀川→白河→宇都宮→古河→板倉→館林。追加テキストあり、後送。(2012年10月14日)【山田音羽 (寛政7年〜明治10年)】
寛政7年(1795年)山形に生まれる。父は藩士・岡谷五左衛門の長女。明治10年館林で亡くなる。83歳の長寿を全うした。夫は山田喜大夫 。山田家は北条早雲に繋がる家。音羽の生家の岡谷家は、「名将言行録」を著した岡谷繁実の親戚。
「お国替絵巻」昭和5年発行の奥付