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- 上毛新聞掲載2013年5月2日
- 上毛新聞・シャトル連載2013年4月
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- 石垣石探検隊
- 上毛新聞掲載2012年10月
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- 館林城・絵はがき
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- 堀・(土塁)調査
- 建築家による館林城研究
- 三重櫓・研究
- 榊原康政・調査
- 館林城調査
館林城の再建をめざす会なので、再建事例の研究。
【事例研究 山形城(霞城公園整備計画)】
羨ましいほどの計画的な再建が進行中。山形県民はさすがだね。
山形城は館林藩最後のお殿様・秋元家が館林に移封になる前の居城(1767年〜1845年)。約80年間過ごしたお城だ!
明治以降、お城は荒れ果てた。その後城趾公園となり(霞城公園)城の内部にプールや体育館、博物館、野球場などが作られた。
そうした施設のほとんどを撤去してお城を再建するという遠大な計画が進められている。そうした計画のなかで二の丸東大手門が再建された。平成3年(1991)に完成。復元事業は昭和53年(1978)に事業決定された。
昭和62年着工。(市制100周年記念事業)
着工から6年で完成。(ただし東大手門だけ)
他に本丸の再建にも着手している。今年(2014年)本丸南東部の「一文字門、枡形、土塀、大手橋」が完成した。全て完成すれば、山形城(別名霞城)の知名度は大幅にアップすること間違いなし。
初代最上義光(よしあき、山形で取材中に、「よしみつ」と発音したら「よしあき」と注意された)が出羽57万石の本城として築いた城の輝きが復活する。
うらやましい大事業だ。
霞城公園整備計画案を見ると、現在使用されている野球場や体育館、武道館、博物館などがあり、それらを撤去し別の場所に新築する計画になっている。現在使用中の施設を撤去することは、多くの市民の反対が予想される。移転問題は必ず揉める。
野球場は平成40年に撤去の計画になっているが大変だね。
足利学校の再建では小学校を移転させた。意見は市を2分したが、強いリーダーシップと政治力で乗り越えたのだ。偉いね。
(足利学校の場合、移転し新築した小学校は児童の減少で廃校に。まったく。)足利学校は観光のシンボルとして大日様{ばんな寺}とともに立派に機能し、活躍している。
再建した東大手門の南側に県立博物館があるのだが、それも移転の対象になっている。
山形県立博物館は残した方が観光客には便利でありがたい。
できれば、気持ちのいいカフェを増設してほしい。カフェはぜひ民間に運営を委託してほしい。(例えば、スタバなどに)
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【再建事例研究01:山形城 東大手門=総事業費11億円!】
昭和53年事業決定。完成は平成3年3月。木造で復元された。たしかにお金はかかるが、山形城の観光アップや郷土の歴史認識を高めた効果など計り知れないだろう。
大手門再建の事業費を見てみる。
問題は事業費だ!一体いくらかかったのだろう
【総額11億円】
業費の内訳は
1)石垣工事費 1億8千万
2)建築工事費 4億8千万
3)木材購入費 2億3千万
4)石材購入費 2.8千万
5)広場工事費 9千万
6)調査、設計委託費 8千万
7)その他 1千2百万
合計11億円
基礎である石垣をチェックすると
昭和62年(1987)1月、石垣用石材を1920トン購入。金額は2千8百万。(遺構として残っていた石材は730トン)
なんだか安い。27年前なのでバブルの最盛期。今もこの価格なのかも(デフレの良い影響かも)。
石垣工事費が1億8千万、合計2億3千万。
(石材関係の方がこのサイトを読んでいましたら、概算のご一報をいただけるとありがたいです。)
現在の物価を考えると、石材などはそれほどの値上がりはない。人件費も急激な上昇はなかった。
2割ほど多めに考えて、2億8千万でこれほど立派な石垣をつくることができる。
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山形城の歴史については(詳しくはwikipedia-山形城を参照)
山形城二の丸東大手門を館林城に当てはめれば、綱吉時代の千貫門と千貫橋周辺(下図参照)と同規模。
15億円あれば復元可能だ。
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【再建事例研究02:山形城 本丸一文字門】
取材した2013年9月は、まさに再建工事中であった。高麗門(平成25年7月完成)と大手橋(平成17年寛政)は完成していた。
枡形の工事と土塀の工事中。
今年3月の完成予定だが、まだ見学してません。
一文字門とは櫓門が一文字の字形なので名付けられた。一文字櫓門が完成すれば美しい本丸の表玄関の完成だ。
館林城(綱吉時代)の場合、本丸に進入する経路は、山形城と同様に橋を渡る。すぐに枡形に入り、その左手に櫓門があった。(山形城のような高麗門が無い)むしろ二の丸から本丸前の南郭に入る門の形状が山形城の一文字門と似ている。
ギャラリー・城めぐりの本丸サイトを参照。
館林にもこれと同様の門があったのだ。ぜひ再建してほしい。
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以下、取材中に撮影した工事現場周辺の案内板の図を加工してわかりやすく紹介。ご覧下さい。
「山形城本丸一文字門復元完成予想図」
本丸、一文字門工事現場パノラマ写真。(2013年9月29日)右手に野球場の証明塔がみえる。
取材・撮影:田中茂雄(館林城の再建をめざす会)
サイトアップ2014年6月1日