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生田萬が揮毫した石碑「小暮照房石碑」(群馬県太田市新井町1-522)
導かれるように撮影してきました。

生田萬揮毫 小暮照房石碑

▲小暮照房石碑
生田萬が太田に在住し、私塾・厚載館を開いて付近の門下生の指導にあたったのは、天保2年(1831)から天保7年にかけての5年間である。
太田市新井の小暮照房は萬の理解者・後援者であり、萬に傾倒の余り後にはその師平田篤胤の門人となった人物で、国学歌道をよくした。
照房は生前自撰の長歌を刻んだ墓碑を庭内に建てたが、これには親交のあった生田萬が揮毫したもの。
解説は太田市のHPから引用。 (撮影:館林城の再建をめざす会 田中茂雄 2014年7月30日)

【不思議な体験。】   

撮影は7月30日(水)。梅雨明けの猛暑(日本有数の暑さを誇る東毛地区だ)。しかも館林を出発したのが11時。太田市新井町に到着したのが11時半。カーナビで住所をセットして石碑付近にたどり着いたのだが、石碑の場所が分からない。
新井町は静かな住宅地。人ひとり歩いてません。容赦なく照りつける日差しが脳天直撃。まずい。
30分程、探したのだが不明(資料は太田市のホームページからプリントした文字情報だけ、地図がない。)。
困っていると一台のプリウスが住宅の前で止まった。運転していた主婦が降りてきた。幸いとばかりに声をかけ、太田市のプリント見せました。
はじめ不審がりましたが、プリントを読むと。「これ、知ってます」との返事。ありがたい。
奇妙なことに、まったく偶然ですが、
 「この石碑は本家の庭にあったものです」と主婦が教えてくれた。
  「エッ。それでは石碑を建てた小暮さんの親戚ですか?」
 「そうです、うちは分家なんです。」 
  「エッ。エッ!」 なんとも奇遇です!

石碑の主・小暮照房さんの子孫の方でした。
これって、誰かに導かれているとおもいませんか?!(不思議体験)
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石碑の場所は、住宅街の2画分離れていました。無事撮影。
(2014年8月3日アップ)