【2015年、長澤理玄・生誕200年祭】
イベントの概要をまとめたパンフレットを制作。
(2015年3月1日発行)

理玄生誕200年祭ごあいさつ

【長澤理玄 生誕200年祭までのあゆみ】


長澤理玄を初めて知ったのは、館林城の調査研究で 岡谷繁実の著作「浮世能夢」だ。
岡谷荘三郎洋行の記述に繁実、理玄、荘三郎の三人が集まり、各人が将来の夢を話すくだりある。その時初めて館林藩医・長澤理玄を知った。

・・・理玄曰ク 僕ハ医ナリ 今ヤ牛痘ノコト外国ヨリ渡リシコトナレハ 人皆疑惑シテ種ユル者ナシ ヨリテ日夜城外ヲ説諭シ 暫クニコトニテ人皆種ユルコトニナリタリ 此上ハ出羽ニ行キ人民ヲ説諭シテ種痘ヲサセ人命ヲ救イタキコト今世ノ望之ニ過キスト言ウ・・・・」(『浮世能夢」 館林双書第25巻 39頁)

これがきっかけで、理玄と荘三郎の調査を開始。荘三郎の資料は乏しく、先に理玄の資料を収集。
それで出会ったのが、石村先生の『疱瘡長屋の名医』でした。(ネットの検索は素晴らしい)。その後大正時代に遠山椿吉博士の著作『長澤理玄』に出会う。
調べてみて驚いた。これほどの人物を今まで知らなかったとは! 歴史好きの私も知らないとは! これって広報活動の不足が原因。
館林の郷土歴史教育がゆるい。これは改善する必要ありと痛切に感じた次第。
しかも山形市の公園には立派な石碑も建っている。山形市への対抗心というわけではないが、館林人として恥ずかしいね。
〈悔い改めるのに遅すぎることはない〉Repentaance never comes too late.
この気持ちで始めた活動だ。

企画立案は長年のデザイナー(アートディレクター)の経験が生かされた。デザイン活動はこういうことにとても向いている。
2013年7月 館林城の再建をめざす会主催「よみがえる館林城展」の成功の力を得て、9月の山形へ調査に行き、本格的に長澤理玄プロジェクトの活動を開始。
●2013年10月 旧・二業見番にて「長澤理玄の勉強会」を2回開催。
●2014年5月  「長澤理玄展」を開催。会場は二業見番。

◎2015年 館林城の再建をめざす会、館林市邑楽郡医師会、館林市議、足高OBの方々の応援と協力を得て、行政へ顕彰碑の設置を働きかける。
ようやくゴールが見えてきた。
(2015年4月7日アップ)


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