ふるさと、館林は長い停滞期に沈んでいるようにみえます。
太田に大差をつけられ、佐野にも追い抜かれ、しかもますます差が広がりつつあります。
いっそこのまま沈み続けるのも良いのかもしれません。
私は、昭和26年館林市鷹匠町833番地で生まれました。
幼い頃の館林は活気がみなぎってました。
ちょうど、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、時代だったのです。
こどもの頃の遊び場であった鷹匠町は、立派な門構えの家も多く(4軒あった)思えば、城下町の面影の濃い町でした。
三の丸も近く、黒門も土橋もお堀(冬は氷が張り滑って遊んだ)も土塁の石垣もしっかりと残っていました。
館林城がまだ生きていたのです。
あれから半世紀、悲しいくらいに城のたたずまいが消えてしまいました。
館林に生まれ育ち、城のことを意識していましたが、その姿・形は幻でした。
南小学校(現二小)の校歌「城のあと、かすむ桜に〜、丘の上ひらくつつじ・・・」と歌ってましたが
桜もツツジもイメージできるのですが城の形がまったくイメージできませんでした。
当時は、よくわからなかったのです。
時代は進み、多くの研究者が根気よく資料をまとめてくださり、あらたな発見があったりと
具体的なイメージが次第に明らかになってきました。(館林市史の刊行が画期的な成果です。詳しくは館林市史HP)
私の仕事はグラフィックデザインなので、イメージを視覚化してわかりやすく伝えることができます。
その技術を生かして、幻の館林城を具体的な形にして見せることから始めました。
絵を描くだけでなく、できれば城を再建できたらなんてすばらしいのだろうと思いつきました。
2011年9月、館林第2中学の同窓会の席上で、この会の構想を発表、全員の支持を得られました。
12月に還暦を迎え、時間の余裕が生まれた今、ふるさと館林のために、ワクワクする楽しい企画で行動したいと強く思います。
ノスタルジーに浸るのも楽しいのですが、城の再建をめざすのはもっと楽しいことだと思います。
それは、郷土の誇りと歴史を取りもどし、町の活性化につながると確信しています。
「館林城の再建をめざす会」 会長&発起人&HP制作・運営 田中茂雄
2012年1月吉日
お城と空手、ふたつの拠点ができました。
2011年、還暦を迎えるにあたり、東京での仕事を減速させ、
ふるさと館林の活性化を図る活動を考えました。
お城の再建と子どもたちへの武道教育です。
名城・館林城の再建は長期的な目標です。
周到に準備をすれば、実現可能性は高いと思います。
2013年、「よみがえる館林城展」。
館林の豊かな
歴史の掘り起こし企画(長澤理玄・顕彰碑やお寺プロジェクト)など
確かな成果をあげてきました。
もうひとつの活動、元気な館林を担うこども達を育てるための
武道教育は2012年12月に活動開始。
3人の生徒からスタートし、
現在30名をこえる生徒が元気に稽古をしています。
さらなる発展を願い、2016年ふたつの活動拠点(いわば城ですね)が完成しました。
所在地は小桑原町です。日光脇往還に面した好立地。
康政公も綱吉公も家康公も通った道に面しています。
まずは写真をご紹介。(2016/03/27アップ)