最新情報/館林城調査・研究・提案

館林城・城下町散歩


【その1:建築家・菊竹清訓作品=館林市庁舎(旧)、そのモチーフは城であった】 
2012年5月15日

日本の著名な建築家・菊竹清訓(きくたけ・きよのり、1928ー2011)、黒川紀章らと共に建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築のメタボリズム(新陳代謝)を提唱する。代表作に「万博・エキスポタワー」「沖縄海洋博・アクアポリス」「江戸東京博物館(両国)」「銀座テアトルビル」「九州国立博物館」など。
館林市庁舎は1963年に竣工。(菊竹建築設計事務所を1953年に開設したので、初期の気合いの入った作品。メタボリズムの主張が市庁舎の形状に反映されている。どんないきさつで新進気鋭の建築家・菊竹清訓に設計を依頼したのか知らないが、(今の感覚でいえば、市庁舎を30年前の安藤忠雄に依頼するような感覚かな・・)かつての館林は新しいものを積極的に取り入れるチャレンジ精神があった。(群馬県で最初の民間銀行の開設は館林市など・・・)進取の気風があったのだ。
館林市庁舎と同じ年に(1963年)竣工した「出雲大社庁の舎」 で建築学会賞を受賞。世界的な建築家でもある。昨年(2011年)83歳で亡くなる。
(設計の依頼は大学繋がりのようだ。当時の遠藤市長と若手建築家・菊竹請訓は同じ大学。2012年8月16日加筆)
(詳しくはwikiでどうぞ・菊竹清訓


完成したのが昭和38年(1963年)、私が小学6年の時。その年、課外授業で市庁舎見学があった。その建物は、館林で最初の高層建築。そしてエレベーターのついた初めての建築だった。見学はワクワク・ドキドキで、その時に初めてエレベーターに乗ったのだ。動き出しの初動を今でも鮮明に覚えている。(このときほとんどの児童が初めてエレベーターに乗ったのだ、ちなみに私の記憶では館林に登場した最初のエスカレーターは藤五ストアー)エントランスから庁舎へはブリッジで結ばれていて、こどもの目にはとても新鮮で素晴らしい建築空間だった。庁舎の内部は光が溢れ、明るく開放的だった。(仕事をしていた市職員には、暑くて不評だったらしい。(館林は酷暑で有名)

現在は保健福祉センターとして利用されている。外観も当時のままだが建物の周囲に堀のような池が埋められ、駐車場になってしまった。建物の周囲を水でかこみ、太鼓橋のようなブリッジで出入りするのは、館林城というか、城郭建築へのリスペクトでしょう。 館林市庁舎は60年代の菊竹清訓の思想が反映された建築。近年、菊竹らの提唱したメタボリズムが再評価されている。(森美術館で開催された展覧会など、下にポスターの画像を掲載)
旧・市庁舎は自由に入れるので建築を学んでいる学生にとっては菊竹建築を体験できる貴重なもの。市も積極的にアピールすればよい。
森美術館ポスター

菊竹・館林市庁舎

菊竹その2
市庁舎のエントランス(2012年5月5日撮影)
旧・館林市庁舎(現・保険福祉せンター) 館林仲町14-1 電話0276-74-5155  館林駅から徒歩12分

【参考資料:黒川紀章設計佐倉市庁舎(1971年)】
千葉県佐倉市の市庁舎。館林市庁舎とよく似ています。同じメタボリズムの設計思想が流れてますね。
(写真:wikiから転載)
黒川設計佐倉市庁舎