三科文次郎(みしなぶんじろう)(?〜?)

吉田松陰が館林を訪れた目的が三科文次郎だった。
吉田松陰の学友。(江戸で兵学・山鹿流を学ぶ)

岡谷瑳磨介が主導した館林藩安政の改革のひとつに、藩校の改革があった。
藩校造士書院の創立し文武教育を国難に備えるべく充実させた。
三科文次郎は 岡谷荘三郎、土屋鉱八郎とともに兵学の師範役となる。
(出展「埋もれ木」34頁 田山みねや著 2017年9月11日アップ)

つづく

【資料】