松平武寛(たけひろ)在城年数5年(1779〜1784)  越智松平家4代。

松平 武寛(まつだいら たけひろ)は、松平武元の四男として生まれる。兄3人の早世により嫡子となり、明和5年(1768年)に主計頭に任官する。安永8年(1779年)、父の死去により家督を継いで館林藩主となる。
(詳しくはwikipedia-松平武寛を参照)

 生誕 宝暦4年(1754年)
 死没 天明4年(1784年)
 父母 父:松平武元 母:石井氏 
 官位 従五位下、主計頭、右近将監
 藩  上野国館林藩主、陸奥白河藩主、播磨姫路藩主。

天明3年(1783年)の天明の大飢饉で発生。館林領内でも飢饉に苦しむ。領民の救済に尽力し、同時に90歳以上の高齢老人に米栗を与えた。これをもって人情に厚いという評判になったという。(しかし、江戸時代に90才以上の古老が館林領内に何人いたのだろうか?これって今の感覚なら110才以上の老人ということだろう、該当者がいたのかどうかあやしい。)父・武元ににて徳のある人物だったようだが、早い死が惜しまれる。

天明4年(1784年)3月26日に死去。享年31。跡を長男・斉厚が継いだ。