館林市役所市史編纂センターが発行した最高の贈り物「館林市史」

市史編纂事業として長い期間をかけて調査、取材、編集、発行している。
(詳しくは館林市史のホームページを参照)

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館林市役所 市史編さんセンター  〒374-0018 群馬県館林市城町2-3 第二資料館内 TEL・FAX 0276-76-7651

館林市史左)特別編第2巻「絵図と地図にみる館林」 (右)特別編第4巻「館林城と中近世の遺跡」。

館林市史中身
特別編第2巻「絵図と地図にみる館林」の誌面、ワクワクするほどの沢山の絵図。しかも今までみたこともない物ばかりだ。 ただし在庫無し、図書館で閲覧できる(貸出不可)。

 

【館林市史にたどり着くまで】
平成20年、父が90歳で他界した。不調を訴えた父の検査結果は余命3ヶ月の診断だった。(父には告知してない)亡くなるまでに父になにかしてあげたいと思った私は、父のルーツを調べることにした。父は幼くして両親を失い、関東大震災で被災し親戚のつてで館林に来たのだった。それは大正12年のこと。その後館林で育ち成長した父は、戦争へも二度出征し(支那事変と大東亜戦争・南方戦線) 多くの危機を乗り越えて生きてきた。そんな父へのせめてもの親孝行がしたかったのだ。
ルーツ探しはわずか3ヶ月でもインターネットのおかげで大きな成果を得た。その時の経験で、インターネット検索の偉大さが納得できた。

たとえば、父の父(私の祖父)は大正時代に東京・神田で出版社を営んでいた。しかし関東大震災で焼失。父もその時は幼くて多くのことを知らなかったが,書店名がわかっていたのでその名を検索してみたら、なんと100年前,祖父の会社が出版した本が見つかった、それも3冊も。1冊は佐賀県の古書店、もう一冊は京都の古書店。さらにネットオークションでも入手できた。それらの本は父が亡くなる前日に父に見せることができた。本の奥付に書かれた発行人:田中健介(父の父、私の祖父)の名前。父は満足してその書籍を見ていた。翌日、父は長い人生の終焉を迎えた。インターネットのおかげで間に合ったのだ。
その後、私は本格的にルーツを探し求めた。その甲斐あってルーツは大正から明治。江戸、そして戦国時代(1500年代)まで遡ることができた。ルーツ探しがうまく進んだのは、インターネットの力と多くの幸運があったからだ。その幸運の一つに各地方都市の歴史編纂事業がある。

私の家は福井藩士の出身なのだが、福井市の歴史編纂事業で福井藩士の給帳(藩士の給与台帳付き社員名簿のようなもの)が翻訳・出版されてなければ、ルーツ探しもできなかった。多くの人の尽力のおかげなのだ。
3年かけたルーツ探しが一段落つき、2011年の年の初め、なぜか館林城の研究が思い浮かんだ。
ルーツ探しの際に館林城主・榊原康政とご先祖さま(豊臣秀次隊)が「小牧・長久手の戦い」で戦っていたことがわかった。その時の武将・榊原康政の強さ、偉大さ、素晴らしを認識したのだった。それから康政のことが気になっていた。

館林城研究は、多くの城サイトをのぞくことから始まった。全国にこんなに沢山の城ファンがおおいのかと驚いた。 全国100名城とか、城歩きの本も多くある。少しずつ読み進める。だか,どの本もサイトも館林城の記述が少ないし、しかも城の評価は低かった。

偶然にも、 2011年6月、「国会図書館に綱吉時代の絵図発見、三重の櫓もある・・・・」といった記事が検索された。それから、館林市の市史編さんセンターのホームページにたどり着いたのだ。
お盆休みに帰省した際に、館林図書館へ「館林市史」を購入。ただ、肝心の絵図面が掲載された特別編第2巻は売り切れとのことで、どこにも在庫はなかった。(ケヅカ書店にも館林美術館の売店へも行ったのだ)入手できたのは「第4巻館林城と中近世の遺跡」と「館林の城下町と村」の2冊だけ、「佐貫荘と戦国の館林」も在庫無し。

【義父が『絵図と地図にみる館林』を所有していた】
図書館で購入した市史を実家で見せたところ、偶然にも探していた『絵図と地図にみる館林』が家にあるという。なんという幸運。お盆なのでご先祖様がフォローしてくれたのだろうか。
館林市史を読み進めると時間を忘れ、その内容に魅了される。そして膨大な手間と時間をかけた編集スタッフに頭が下がる。東京でグラフィックデザイン事務所を営んでいて,書籍の編集・デザインのことが詳しくわかっている。その大変さが理解できるのだ。
ルーツ探しの過程で、古文書の読み方がわからず困ったこと。明治時代の戸籍原簿の手書きの文字でさえ判読するのに多くの時間がかかったこと。
豊富な資料とわかりやすい解説。なんて、ありがたいこと。

【絵図面をわかりやすい形で表現し、魅力を伝える】
職業はデザイナーなので、絵を扱うことは得意。それなので、館林城の本丸を描いてみたかった。市史の絵図を研究し、多くの城の書籍を参考にして作ったのが「綱吉時代の館林城」の画像。トップページにある画像だ。
できあがりの素晴らしさに自分でも驚いた。というか榊原康政が作った城の素晴らしさに驚いたのだった。 ちなみに、この制作に2ヶ月かかっている。(なので、勝手に使われるととても不愉快になります。ご注意を。)

2011年9月、館林第2中学の同窓会の席上で館林城の想像図を披露。みんなの賛同を得、「館林城の再建をめざす会」を起ち上げた。

この,ホームページも「館林市史」があってこそ。
(2012年4月5日)