太田資晴(すけはる)在城年数6年(1728〜1734) 
江戸城を造ったあの太田道灌の子孫。 

太田資晴( おおた すけはる)田中藩初代藩主・太田資直の五男として生まれる。宝永2年(1705年)に父・資直の死により家督を相続。同年、陸奥棚倉に移封された。享保13年(1728年)若年寄になった資晴は、松平武元と交替して館林城主となった。館林の他、下野、武蔵、伊豆諸国六郡の内5万石を領した。
享保19年(1734年)には大坂城代に任じられ、摂津周辺で5万石を与えられた。再び館林は城番管理となる(約6年)。元文5年(1740年)死去。後を長男の太田資俊が継いだ。
(詳しくはwikipedia-太田資晴を参照)

 生誕 元禄8年(1696年)
 死没 元文5年(1740年)46才
 父母 父:太田資直、母:板倉重常の娘
 官位 従五位下、備中守
 藩  田中藩主(静岡)、棚倉藩主(福島県)、館林藩主、

【太田氏とは】
清和源氏、源頼光の玄孫頼政(源三位頼政)の末子である源広綱を祖とする。広綱の子孫の源資国が丹波国桑田郡太田に住んで太田氏を称したという。
この太田氏のなかで一番有名なのが、江戸城を築いた太田道灌(1432年ー1486年)。道灌の別名は持資。その8代後の太田家13代目が太田資晴。